昭和を生きてきた私たちへ | 価値観と生き方を見つめ直す

50,60代からの人生再設計

育んだものはセピア色にわって――

「苦労は買ってでもしろ」
私たちは、そんな言葉が当たり前の時代で育ちました。
我慢することや、踏ん張ることの中で、
支え合いや人情を学んできたのだと思います。
たくさん経験を積むことで磨かれると信じていました。
でも、苦労は疲労となり、
磨かれることはなく、傷ついてしまいました。

一方で、若い世代の人たちは、
自分の願いに正直で、
まっすぐ前に進んでいて、
とてもキラキラして見えます。

ある日、若い同僚が言いました。
「それ、無理してやらなくていいと思いますよ」
責めるでもなく、軽やかに。
その一言に、私は返す言葉を失いました。
無理をすることが美徳だと、
どこかで信じ込んでいたからです。

手を抜くことは悪いこと、
頼ることは弱さ――そんなふうに、私は自分を縛ってきました。

あるいは、集団の中で役割のない空白が、
自分の価値のないことのように思えて、
それに怯えていたのかもしれません。


けれど彼女は、
自分を守ることと手を抜くことを、
きちんと分けて考えているように見えました。
私はその姿を、
少し眩しく、少し羨ましく感じていました。

「私もそうしてみよう。」
そう思い立っても、
これまで染みついてきた生き方は、
なかなか変えられるものではありませんでした。

隣で大変そうな人を見かけたら、
手助けしないのは薄情なことだとも、
教わってきました。

時に、
「手助けとお節介の見分け方は難しいな」
そんなふうに迷ったこともあって、
人間関係は、いつも悩みが尽きません。

職場でも、つい、
つらい役回りを進んで引き受けてしまう。
だからといって、
誰かが手伝ってくれるわけでもなく、
一人だけしんどいことに、
苛立ってしまうこともありました。

こんなふうに以前はいつも、
「何かをしなければならない。」
という思いに追われていました。

そうして少しでも多くをこなし、
前に進んでいくものだと、
信じていました。
立ち止まることは、
怠けているように感じていたのです。

けれど今は、
多くの人がそれぞれに、
自分の価値を見いだそうと努め、
日々を輝かせているように見えます。

自分の価値は、
苦労を見つけることよりも、ずっと難しい。
そう感じるのは、私だけでしょうか。

昭和――
私たちが育ってきた時代。

私たちが願い求めてきたもの。
そして、育んできたもの。
それらは、矛盾と混乱の中で、
形になっていないかもしれません。
けれど、時が経っても、
私たちの中で今も息づいています。

もし、叶えられなかったことが、
心に影を落としているのだとしたら、
見つめ直してみてください。
それは、心が痛むことですが、
芽生えるのを待ち続けている種かもしれません。

答えは見えないけれど、
気分は、わるくありません。
ただの思い込みだったのかもしれないけれど、
必死に踏ん張ってきた時間が、
今は大切に思えるからです。

私は、
セピア色に変わっていくその記憶の中から、
「もう遅い」と、
片隅にしまい込んでいた夢を取り出してみました。
完璧に形にできなくてもいい、
心惹かれるままに、今だから出来る事を、
これから、一つ一つ、紡いでいきたいと思います。

私たちがこうして生きてきて、半世紀が経ちます。
皆さんにとっては、昭和はどんな時代でしたか?
そして願いが叶うのだとしたら、
どんなことを望みますか。

コメント