【介護からの脱却③】介護の中で自分を見失った理由

義母との同居介護

一度関係がこじれると、
それまで善意だと思っていた言葉が、
すべて「評価」や「要求」に聞こえてくるようになりました。

兄弟たちが教えてくれる義母の好みさえ、
私には、責められているように感じられたのです。

そんな中で、私はその要求に応じることしか考えていませんでした。

兄弟たちに比べて、義母への愛情が足りなくて不安でした。
――義母に寄り添いながら、親身にお世話をしていけるだろうか。
街角で、老婦人の手を取って歩く人を見れば、
――世間一般的に、みんなちゃんとできている。
 私もやるのが当然だ。

やり続ければ、
  きっと愛情を持てるようになれる――
やり続ければ、 
  きっと親族たちと良い関係を築ける――

けれど、飲み込みきれない重圧感から、
同じように介護の経験をされたことのある方の二、三人に、
どうしたらいいのか尋ねてみました。
ところが、答えはみんな同じでした。

「それを子供が見ている。
いずれ自分も同じように扱われるんだよ。」

親戚の前でも、
街ですれ違う誰かの前でも、
そして子供たちの前でも、
逃げられなくなってしまいました。

今振り返ると、
評価されることに囚われ過ぎて、
周りを見る余裕がありませんでした。

気づかないうちに、
私の不手際を探している人たちの都合に合わせて、
行動するようになっていました。

何を食べさせているのかと聞かれたら、
「食べさせたいものがあるなら、持って来て。
一緒に食べましょう。」
新しいジャンパーを着た子供を見て、
義母には買ってやらないのかと聞かれたら、
「着せてあげたいジャンパーを選んで
買ってきて下さい。」

もし、こんなふうに、笑って言うことができていたら、
介護もそれほど辛くなかったと思います。
兄弟たちとも、良い協力関係を持てたかもしれません。

けれど当時、“ちゃんとしなければ”という思いに、
がんじがらめになっていた私には、
そんな心の余裕はありませんでした。

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介護からの脱却まとめ 介護を終えて5年後に思うこと

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