ある日、義姉が旅行から帰って、
お土産を持って訪ねて来ました。
義姉は熱心なキリスト教信者で、
他の信者の方たちと、
イスラエルへ行ってきたそうです。
以前会った時には、
「足首が痛く、手術をしても良くならない」
と話していたのに、
「そこでは、たくさん歩き回ったけれど、
信仰があったから、良くなった」
嬉しそうに、そう話していました。
聖書に書かれている遠い国へ、
実際に行って来たなんて、
私は、夢物語を聞いているようでした。
また、別の日には、義弟が訪ねて来て、
前日に起こった失敗談を、
「それは自分だけのせいではない。」と、
ぼやいていました。
そんな一言でさえも、私には、
会社の一員として仲間と関わりながら、
自分の役割を生きている充実感が感じられて、
羨ましく思えました。
良いことであれ、悪いことであれ、
彼らは、自分で自分の人生を選び、
前に進んでいました。
私は自分の人生を生きているのだろうか――
突然そんな疑問が沸き上がり、
抑えきれない虚しさと悲しみがあふれました。
幼い頃は、弟を優先してきました。
結婚して子育て中は、
母として忙しさに追われました。
そして、50代に入り、
義母を支えています。
私はいつも、
求められる役割を優先してきました。
長寿の時代、この先どれくらいの年月を
耐え続けなければならないのだろう。
諦めの中で、義母と共に老いていく、
そんな自分の姿しか想像できませんでした。
でも私が一番辛かったことは、
自分のために生きてこなかったと気づいたことです。
そして、それを取り戻すには、
あまりにも長い時間が過ぎていました。
けれども、
「このままでは終わりたくない」
そんな思いだけは消えずに、
私の中にありました。



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