義母を偲んで、たくさんの人が、
義母に敬意を払おうと、
弔問に参加してくれました。
この葬儀で私は、義母の人生の重みと、
残された私たちの危うさの両方を、
目の当たりにしました。
心の整理もつかぬまま、
いつもなら揉めてしまいそうな、
葬儀の規模や形式、
経費などの話し合いも早々に済ませて、
葬儀が行われました。
「できるだけ誠意をもって行いましょう。」
この同意のもと、準備が進められました。
その途中にも、義兄弟たちの子どもたちが来れば、
その子たちの喪服のレンタルなどで、経費が膨らみました。
また、どんな宗教の人が来ても対応できるように、
線香と献花も用意されました。
実際、遠い親戚だけでなく、
義兄弟たちの職場の人たちまで、
弔問に来てくれました。
私たちも、気を遣わないわけにはいかなくなり、
挨拶と一緒に食べ物や飲み物を勧めたのですが、
そこで、弔問客に対する対応の差を感じました。
社会的に成功している人への優遇を目にして、
「こんな時になぜ?」と、
私は、心が萎えてしまいました。
そればかりか、喧嘩まで起きてしまいました。
広いホールには、
義姉と義妹たちが通うキリスト教の人たちの集まりが、
一角を占めていて、始終、讃美歌を歌っていました。
義母の知人は年配の方が多かったため、
それを快く思わない人もいたのです。
そして、とうとう
酒が回った男の人が怒鳴りだしました。
私は、申し訳ないけれど、
疲労困憊していたので、義姉たち当事者に任せ、
離れたところから見つめていました。
一夜明けて、そこを出るとき、
義弟の嫁は、余った食料を包んでいました。
祭儀場への精算を済ませ、
頂いた香典の話をした時も、
気持のよいものではありませんでした。
故人を悼む場にあって、
私たちはこんなにも脆く、危うい――
たくさんの方から頂いた真心も、
盛大な葬儀のなかに消えてしまいました。
そんななかで、私の心に強く残った光景がありました。
義母は、生活するのが困難な時代を経験してきました。
私たちが想像できない体験も多くあったことでしょう。
けれど、共に過ごしていた時には、
そんなことを少しも漂わせることはありませんでした。
義母には、刑事の役職を終えた弟がいました。
ベトナムの戦地に赴いたこともあって、
警察で勤務していた頃は、
やくざの人たちからも恐れられていました。
情には厚い人でしたが、目つきが鋭く、
気安く近づけない雰囲気のある人でした。
人の裏側までも見てきたであろう、
気丈なその叔父が、
義母が火葬される時に現れました。
そして、火葬場の目立たない煙突の近くで、
一人、泣いていました。
義母には弟が三人、妹が一人います。
16歳で嫁に出されたと聞いています。
義母の母親は、出産と子育てのために、
体を冷やさないように大切にされ、
義母は、家事や商売の手伝いをさせられたそうです。
義母が娘を出産した年、義母の妹が生まれました。
弟たちは学校へ通えても、
義母だけは通わせてもらえませんでした。
なのに、義母の妹は大学まで通わせてもらったのです。
義母はどれだけ辛い思いをしてきたことだろう――
叔父のその姿を見て、
義母が、幼い頃から背負ってきた役割の非情さが、
いたたまれないほど伝わってきました。



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