勇気を持って飛び込めば、
あとは努力と根性で、何とかなった。
そんな経験はありませんでしたか。
でも今は、そんな単純な時代ではないですよね。
努力や根性なんて言葉すら耳にしなくなりました。
それほど時代は、変化しているんですね。
戸惑うばかりで、活力すら湧きません。
かといって、「もう歳だから」
この言葉で終わらせたくはないものです。
なので、このことについて、向き合ってみようと思いました。
活力を失ったんじゃない、使い切っちゃったみたい
これまではある程度、
”こう行けば、こうなる”が見えていました。
だから、追われるようにではありましたが、
走り続けてこられました。
学校では、競争するかのように勉強し、
仕事に就けば、息抜きするのが精一杯の毎日。
それは、目まぐるしい毎日でした。
でも、もう活力が沸かないのです。
「だって使い切っちゃったんだもん。」
これが、私の本音です。
時代の変化が、気力を奪う
今度は、時代に置いて行かれたくないと、
いろいろな情報をかき集めてみました。
ところが、知れば知るほど
限界のないことに気付いたのでした。
ほんの少し前、
「こんな小さな子にまで携帯電話もたせるの?」
なんて疑問視していた自分が恥ずかしいほど、
小学生にまで教わってしまう始末。
家電製品には取扱説明書なんてないし…。
しかも機械が勝手に、主人をさし置いて、
アップデートしちゃうものだから、
手元にあったスマホでさえ、戸惑ってしまう。
「もう、付き合いきれません。」
これも、私の本音です。
頑張れない自分を、責めなくていい
でも私は、ただ歳をとってきたわけではありません。
「出来ないことは、出来ない。」
それでも世の中を渡っていくことはできます。
「もう、無理はできない。
でもまだ人生は残っている。
だから、このままでも生きていっていいんだ。」
今までは、
妥協せず、自分に厳しくすることで、
もっと強くなろうとしてきました。
自分を責めて、なんとかなるなら、
試す価値があるけれど、
それをやり続けると、
他人にまでそれを求めてしまう。
自他共に、まいってしまいました。
それは十分にやってきた。
「もう無理をしない」ほうへ、
向きを変えていこうと、やっと思い始めました。
無理をしないという選択
私は、何に無理をしてきたんだろう――
何に疲れているんだろう――
何が嫌なんだろう――
これまでは、自分自身が見えないので
人とのかかわりを通して、違和感を抱えたまま、
この無理を押し通そうとしてきました。
私たちは、
少しずつ変化していく一人ひとりの集まりです。
日々、互いに折り合いをつけながら過ごしています。
その中で、何かを成し遂げられる実力や知識が、
多ければ多いほどいいのですが、
自分には関心のないもの、出来ないことも多いものです。
ここで感じる違和感が、
自分ではない部分を教えてくれているように思います。
社会のなかで、分からないことがあると、
役に立てないと感じ、疎外感を覚えたことがありました。
皆と歩調を合わせたくて、
あらゆることを理解しようとしてきました。
でも、今は情報があふれる時代と言われるようになりました。
知らないことも恥じではなくなったように感じます。
このごろは、そのせいか気が楽になりました。
また、誰にでも役割がありますが、
私にも会社や、家庭の中で、
いくつかありました。
この役割を、どのように果たしたらいいのだろうかと、
ついつい同じ立場の人と、
自分とを比べてしまうものです。
そして、できないこともできるはずだと、勘違いすることがあります。
でも、完璧にできなくてもいいと割り切った時、
肩の力を抜いても大丈夫なんだと安心することができました。
多少は、衝突もありましたが、
「世の中は持ちつ持たれつ」なのです。
自分を理解してもらうことも必要だと思っています。
安らぎの訪れ
無理を通そうと、
かたくなに意地を張ってきた思いに、
ひびが入るように、
少しずつ、今までとは違う空気が、
漂うようになりました。
それは、目的のない散歩道で感じるような、
日差しの暖かさのようであり、
風が運んできた草花の香りのようでした。
何気ない日常に、
ホッとする心地よさが感じられるようになりました。
取り掛かるべきタスクが軽くなり、
脇にそれて腰掛けるゆとりも持てるようになりました。
何気ない日常に、ホッとする心地よさがあるのです。
欲しかった活力とは違うけれど、
こういうものもいいものに思えてくるのでした。
人生の意味づけ
今の状態は、無理をして成果をあげてきた、
過去の自分よりも、活力がないように、
見えるかもしれません。
けれど、あの時のような、
じりじりとした切迫するような不安はなくなりました。
これからは、増やさない、広げないで、
身の丈に合った日々を、
静かに満ちるように、送っていきたいと思っています。
次世代へ繋げて
だんだんと貢献できることが減り、
自分が小さくて思えて、
これでいいのかと、
今の在り方を疑ってしまいます。
何もしてこなかったと、思うこともありますが、
これまで確かに、努力をしてきました。
走るのを止めることは、
諦めでも、逃げでもないと思います。
時代が移り変わり、けん引役が
次の世代へ引き継がれていきます。
その大きな川の本流に乗る活力は乏しいかもしれませんが、
その流れの恩恵を分けてもらいながら、
脇へそれて陽だまりの中で、小石や砂利を洗うという、
選択もあっていいんじゃないかと甘えております。



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