【イマ活④】価値がないと思っていた私 ― 簡単な仕事と尊厳の話

50,60代からの人生再設計

「いつか将来のために」と、我慢をして「今」を削ってきた。
何のための我慢だったのだろう。
自分の意志を差し置いて、他人の判断、社会的形態など
自分以外の外側の物差しに従ってきた。
そこには、どこかに所属しているという安心感があり、
私は、ひたむきにその役割を果たそうと努めてきた。
けれど、どんなに頑張っても自身のための将来は、
いつになっても来なかった。
そのことに私たちは気付き始めている。
不必要な慣習を捨てることで、
自分自身の輪郭が少しずつ見えてきた。
待ち続けてきた「いつか」は、
そこでようやく見え始めた自分自身がもたらすもの。
だから、勇気を持って、本当の自分を立て直そう。
小さな一歩でいい、
晴れやかな結果を望まなくていい――
ただ心の赴くほうへ、
一緒に歩んで行きませんか?

簡単な仕事をする人は、重要ではないのですか

私のバイトは、汚れを見つけて洗うことでした。
誰もができること、考えなくてもできること。
ただ動けばいいこと。
けれど、汚くて、面倒な、誰もがしたくない仕事でした。
その仕事をするのは私以外にも、
他に代用できる人は大勢いる。
そこでの私は、どこにでもいる特に価値のない者でした。

ある時、トルコの静かな山麓にある、
古代都市の映像を見ました。
そこに当時の水源から、今も水が流れる噴水がありました。
私は、どうしてもそこへ行きたい衝動に駆られました。
でも、英語に自信がなくて、海外旅行をためらっていました。
そんな遠くまで贅沢だとも思っていました。
ふと、航空券はいくらなのだろうかと、
値段だけ調べてみました。
その価格は意外にも、これまで当然のように、
誰かのために出費してきた交際費と変わりないものでした。
汚れを探して、下ばかり見ながら働いてきた賃金は、
どのように使われたのかわかりません。
どうせ手元には残らず消えていくお金です。
飛行機に乗りさえすれば、そこに行くことができる。
「粗末に扱われてきた自分のために、
少し高いけれどビジネスクラスでそこに行こう。」
居てもいなくてもいい存在として扱われたことで、
私は初めて、自分を粗末に扱わない選択ができました。

気付かされた視野の狭さ

慣れない旅行に行く私を心配して、
娘も一緒に行ってくれることになりました。
こんな時、若い子が本当に頼もしく感じるものです。
また、今思いかえすと、その子たちから見て、
これまで自分には気づけない不足な点が多々あったようです。
「もう、お母さん、こうしたらダメだよ」という
小言をたくさん聞かされました。
「それは違うでしょう」と、
反論したくなるようなこともありましたが、
その旅行に胸をときめかせていたので、
今の人たちはそう捉えるもなのかと素直に聞けました。
こうして娘のお陰で、
いろいろなプランが練り上げられていきました。

無言の中の尊厳

そうして、
私は映像で見たサガラッソスの噴水の前に立つことができました。
そこは、人が消え、都市としての役割はもうない
崩れた石垣が残っているだけの静かな遺跡でした。
私は、今もそこに流れる当時のままの水をすくいあげました。
時を超えてもそこにある何かに触れたかったのです。
でも残念なことに、何も感じられませんでした。
そこを流れる水は、何も主張することはなく、
ただ流れていたのです。

少し下ったところに、崩れた街並みが一望できるところがありました。
私は、そこに腰掛けてぼんやりと景色を眺めていました。
遺跡のすきまの所々に生い茂る草花が風に揺らいでいました。
当時から多くの人たちを慰めてきただろう、
そよ風が私の思いもくみ取ってくれているかのように、
山間を吹き抜けていきました。

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