介護からの脱却⑥】介護に飲み込まれていた私に気づいた日

義母との同居介護

ある日、義姉が旅行から帰って、
お土産を持って訪ねて来ました。
義姉は熱心なキリスト教信者で、
他の信者の方たちと、
イスラエルへ行ってきたそうです。
以前会った時には、
「足首が痛く、手術をしても良くならない」
と話していたのに、
「そこでは、たくさん歩き回ったけれど、
信仰があったから、良くなった」
嬉しそうに、そう話していました。
聖書に書かれている遠い国へ、
実際に行って来たなんて、
私は、夢物語を聞いているようでした。

また、別の日には、義弟が訪ねて来て、
前日に起こった失敗談を、
「それは自分だけのせいではない。」と、
ぼやいていました。
そんな一言でさえも、私には、
会社の一員として仲間と関わりながら、
自分の役割を生きている充実感が感じられて、
羨ましく思えました。

良いことであれ、悪いことであれ、
彼らは、自分で自分の人生を選び、
前に進んでいました。

私は自分の人生を生きているのだろうか――
突然そんな疑問が沸き上がり、
抑えきれない虚しさと悲しみがあふれました。

幼い頃は、弟を優先してきました。
結婚して子育て中は、
母として忙しさに追われました。
そして、50代に入り、
義母を支えています。

私はいつも、
求められる役割を優先してきました。

長寿の時代、この先どれくらいの年月を
耐え続けなければならないのだろう。
諦めの中で、義母と共に老いていく、
そんな自分の姿しか想像できませんでした。

でも私が一番辛かったことは、
自分のために生きてこなかったと気づいたことです。
そして、それを取り戻すには、
あまりにも長い時間が過ぎていました。

けれども、
「このままでは終わりたくない」
そんな思いだけは消えずに、
私の中にありました。

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介護からの脱却まとめ 介護を終えて5年後に思うこと

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